東久邇盛厚殿下の「ノーベル賞を百とるよりも、国民一人一人の小発明が大切だ。旨いミソ汁を考えた人には文化勲章を与えよ」という思想に私は痛く感激した。
この「文化勲章論」は、議員連盟75人の心を打った。
それから、殿下と私の二人三脚の運動が続いた。そして私でさえ藍綬褒章を賜った。それを機会に、私は科学技術庁の中に褒章クラブを創った。この褒章クラブは科学技術庁長官が顧問、私が幹事長となり35年も続き、科学技術庁公認の団体となったが、文部省と合併して無くなったので、褒章クラブも無くなってしまった。
ところが、褒章クラブの中心だった中小企業の社長連中が「あの文化褒章は文化勲章に匹敵する賞である。これは長く中小企業の社長に与えるべきだ」と私のところに多くの要望が寄せられた。そこで、私は百歳になったのを記念して、もう一働きと思って「文化褒賞クラブ」を復活したのである。
この文化褒賞は中小企業の社長から今もっとも切望されている賞である。
皆さんもぜひ受賞してもらいたい。
平成19年9月 豊澤豊雄 謹記